アメリカの女性コメディアン、キャシー・グリフィンがなんと、トランプ大統領の「血だらけの首」を手に持って写真撮影をしている様子ををゴシップサイトの「TMZ」にアップしました。
そして当たり前ですが、避難が殺到し、謝罪をした模様。
コメディアン? キャシー・グリフィンって誰?
彼女は、イリノイ州シカゴ出身。
声優、スタンダップ・コメディアン女優であり、LGBT活動家でもあります。
Wikipediaによると。。。
『となりのサインフェルド』の2エピソードに出演したために有名になり、その後NBCシリーズのシットコム『Suddenly Susan』に出演した。現在はBravoにて、『Kathey Griffin: My Like on the D-list』という自らのリアリティー番組を持っている。この番組のエクゼクティブ・プロデューサーとして、2回エミー賞を受賞している。2008年と2009年には、ベストコメディーアルバム部門にてグラミー賞にノミネートされた。
自分のリアリティー番組を持っていたり、エクゼクティブ・プロデューサーとしての才能もあり、かなりの有名人であることがわかります。
ということは、こういった悪趣味なジョークによる影響力は大きいはず。
キャシー・グリフィンは何がしたかったの?
キャシー・グリフィンは、写真家のタイラー・シールズと共に写真を撮影し、現在削除されているTwitterでこんなコメントをしていました。
- 彼の目から血が流れている、血は彼の……どこからでしょうね。
- 決してわたしはファンやその他の方に対して、誰かに暴力をふるうことを許容しているわけではありません。ただ嘲笑するトップの人間を嘲笑しているだけなのです。
アメリカのゴシップサイト「TMZ」では。。。
- 刑務所に行く前に、今日中にメキシコに飛ばなきゃね。
トランプ大統領の息子さん、バロン君に対しても誹謗中傷をした人々がいました。
「限度を超えている」事に気がつかないのでしょうか?
キャシー・グリフィンは、精一杯トランプ大統領を皮肉る事で、自分はアーティスト代表として、トランプ大統領と戦っている!
という姿を世間に見せ、いかにも「差別と戦うアーティスト」というイメージを植え付けたかったのだと思います。
そして、トランプ大統領に反対する人達の代弁者のつもりだったのかもしれません。
でもズレてます。
あの、マイケル・ムーアが「今回はトランプが当選する」と予測していたくらい、実はCNNやニューヨーク・タイムズがどんなにトランプ叩きをしても、中間層、貧困層からは支持されていて、「女性初の大統領」というスローガンは全く関係なかったのですよ。
もちろん、トランプ大統領も品のない言葉遣いで相手を攻撃はしますし、ガッカリもさせられるのですが、これはやり過ぎですよ。
ヒラリー・クリントンの娘、チェルシー・クリントンからも避難される!
これは、計算に無かったのでしょうね。。。
チェルシー・クリントンさんはこう批判してます。
これはひどく、間違っている。大統領を殺すジョークなんて、全く面白くない!
こんなやり方は卑劣ですから、もし「ヒラリーの方が良かった」という事だったとしても、クリントンファミリーだっていい迷惑です。 嬉しくないと思います。
チェルシー・クリントンさんの感覚が正常です。
また、CNNでキャシーと共演しているジャーナリストのアンダーソン・クーパーはこうコメント。
これは明らかにおぞましいことであり、完全に不適切だ!
そして、最後に、トランプ大統領の長男ドナルド・トランプ・ジュニアの納得のツィートを紹介。
うんざりしたけれども驚くべきではない。
これは今日の左派だ。
彼らはこれが容認できるものと考えている。
保守派がオバマ大統領にこのようなことをしただろうか?
キャシーは映像で「私は論議を呼ぶことをすることを恐れない」と言っているけれど、結局ツィートを削除!
謝罪するも、CNNより契約解除され、キャシーはクビに!
とにかく、各方面からの非難。
実はキャシー・グリフィンは、2007年から毎年CNNの年越し番組「CNN New Year’s Eve Live」を先ほど紹介したアンダーソン・クーパーと務めています。
が、この騒動を受けて、CNNがキャシー・グリフィンを契約解除したとのことです。
ただ、この契約解除は今年だけなのか、永久なのかは言及していません。
限度を超えたジョーク?へのキャシーの謝罪
キャシーは謝罪動画でこう話しています。
私はコメディアンです。私は一線を越えてしまいました。
私は一線を動かして、超える人間ですが、今回はやり過ぎました。
あの写真はひどい不快を与えるものです。不快に感じた人たちがいるのも理解できます。
あれは面白くありませんでした。それは分かります。
それを実現するために何がベストかを考え付いたんです。
でもこれは本物ではありません。僕たちは誰かを殺したわけでもありませんし、誰かが殺されるべきだと思っているわけでもありません。
映画と何ら違いはないのです。ただ静止画だったというだけです。